戦争の記憶 - Digital Museumu -
私の戦争体験

 戦争体験などない、現代の日本で生まれ育ってきた、私たち立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の大学院生が、「戦争の記憶」を集めていくプロジェクトに参加するのにあたって、まずは自分たちの人生、生活の中で「戦争」というものを意識した経験を思い起こしてみました。
 本当の戦争体験などとは比べ物にならない、テレビやニュースでの報道、博物館や旅行先での見聞などからの体験ではありますが、戦争を知らずに育った私たちが、戦争という事象に触れ、意識をした「体験」を思い起こし、書き起こしてみることが、「戦争の記憶」を集めていくプロジェクトに臨む自らの視点を再確認することであるとともに、私たちの集めた「戦争の記憶」をご覧いただく皆さんにとっても、集められたコンテンツを理解いただく手がかりとなるのではないかと思います。

私は尋ねたいのです。戦争の話を聞いてそしてその次にいったい何をすればいいのでしょうか…
「私の戦争体験」より

小学4年生のとき、自己紹介の文集の中で、将来の夢として「兵隊さん」と書きました…
「40年遅れの「のらくろ」世代」より

2001年9月11日、2002年春夏ニューヨーク・コレクションは始まったばかりだった…
「痛みと憎しみ」より

多くの自衛官は言う。「我々の存在を国民が認識する時、それは何か不幸が訪れた時、だから今のままで良い」…
「常態の重さ」より

ボスニアへとつづくアウトバーンの道、この道の向こうにはニュースでみる戦争が実際に起こっているのだ…
「道」より

階段下に立ってその鳥居を初めて見たときは足のすくむような恐怖を感じた…
「私の戦争体験」より

「花嫁人形」と呼ばれるその何十体もの日本人形は、結婚することなく戦死した若者に戦後、「母から息子へ」「祖父母から孫へ」「兄弟から兄弟へ」贈られた…
「私の戦争体験」より

母は伊豆の東海岸に住んでいました。まさに米軍機の通り道だったのだと思います…
「私の戦争体験 ~戦争に近づいた思い出として~」より

それは、「イ ラク戦争で、戦死した 21 歳の兵士のお葬式が行われるので入館ができない。」とのことでした…
「私の戦争を実感したこと」より

結局日本人救出のための救援機としてJALは飛ばなかった のです。その代わり、なんとトルコ航空が飛んでくれたのです…
「私の戦争体験」より

「今の世の中は戦争が終わったからこそある」「自分 は 戦争を知らない子供で気楽で幸せらしい」と感じる機会に事欠かなかった…
「『戦争を知らないことを実感できた時代』に生まれて」より