このページは、立教大学大学院の21世紀社会デザイン研究科で、私が開講しているゼミの学生たちが、実習目的で共同制作したページである。シラバスには、このゼミの開講目的をこう書いた。
現代社会は、基本的に情報化社会だから、いかなる社会活動をするにあたっても、その有効性を高めるためには、広報活動が不可欠である。その実践的トレーニングとして、インターネット上に「21世紀社会デザイン研究科立花ゼミ」のページをクラス全員の力を合わせて作っていく作業を行うことにする。
ページは基本的に二つの要素で構成される。一つは「21世紀社会デザイン研究科」とはどのような学科であり、何をやっているのかという学科全体の広報活動のためのページ。もう一つは、個々の学生が自分について書く、あるいは自分の考えや日常的な思いなどをどんどん勝手に書いていくブログ的なページ。
授業はページ作りのための相談と、できたページの相互批評を中心に行っていく。
私は10年前から、東京大学教養学部で学生とともにページ作りをしてきた経験があり、いまもその活動を継続している。第1次立花ゼミ・第2次立花ゼミのページの累積ヒット数はとっくに1千万ヒットを超えている。また「日経BP」のページにも週1回くらい書いているが、こちらは書くたびに50万ビューを得ている。これらのページとリンクさせると、「立教大学立花ゼミ」のページも相当のビュア-を最初から獲得できるのではと皮算用をしている。
インターネットの世界は、いま日々に急速な変貌をとげつつある。それがどちらの方向に向かおうとしているのかも常に論じていきたい。
■二本の柱
このページのコンテンツは、基本的に二本柱からなっている。21世紀社会デザイン研究科の紹介と、ゼミ生たちの自由な発想に基づく、「面白くてためになる(というか)情報量が豊かな」創成ページである。
前者の21世紀社会デザイン研究科の紹介については、同研究科の公式ホームページがあるから、まずはそこをクリックして見ていただきたい。
フォーマルな紹介はそちらに譲るとして、こちらのページでやろうとしている研究科紹介がどういう内容かというと、プラスアルファ的に、もうちょっと人間的な側面を重視した紹介である。どのような人々が何を教え、どのような学生が何をどのように学んでいるのか、具体的にそのあたりを肩肘張らない形で伝えようとしている。
いまみんなでワイワイガヤガヤ議論しながらプランを練っているところだが、おおむね次のように考えている。
一つは教員の紹介。どのような人が何を教えているのか。
基本的な情報はすでに公式ホームページに載っているが、こちらは教官たちに順次インタビューしていくことで、もうちょっと人間的な側面を肉声に近い形で引き出したいと考えている。
教官たちが具体的にどのような人間なのか、血もあり肉もある姿が如実に浮かんでくるような、そしてその声が肉声で聞こえてくるような(ビデオ映像も駆使して)ページにしたいと考えている。
もう一つは、この研究科で学ぶ人々の紹介である。
現にここで学んでいる学生達の紹介と、ここで学んで社会に出ていった卒業生たちの紹介である。
21世紀社会デザイン研究科は、社会とのつながりがきわめて密接な研究科である。この研究科は、開設されてすでに5年になり、約200人もの卒業生を社会に送り出しているが、そのかなりの部分は「社会に送り出した」というより、「社会に送りかえした」という方が正しい。なぜなら、この研究科の最大の特長は社会人学生が多いことにあり、通算して実に75%が社会人なのである。
社会人学生の多くが、社会的職業を持ったまま、学びにきている。この研究科の授業はほとんどが夕方から夜にかけての開講だから、社会人のままで入学可能である。
社会人学生のキャリアは実に多彩であり、卒業生の進路もまた実に多彩である。そのあたりを具体的に紹介していくことで、この研究科のイメージがより鮮明に浮かび上がってくるはずである。
在学生と卒業生の紹介は順次枠を広げつつやっていく予定だが、まずは、このゼミの所属学生の自己紹介からと思っている。そこでゼミ生にはこの「ネコ屋敷」のページに、一人一室ずつ与え、そこに、各人の自己紹介のページを作らせている。
そこには、各人の個人史、性向、好き嫌い、普段考えていることなどを書いていくとともに、いま毎日何をやり、何を考え、どのような生活を送っているか、各人のブログを作ってそこに置かせてある(ブログの形式はさまざま)。
まずはそのあたりを読んでいただくと、このゼミの様子、この研究科の様子が次第に分かってくると思う。
このページ作りの授業を始めて、最初にやったことは、ページの名前を考えることだった。ゼミ生全員に名前の案を出させたら、いまひとつピンとこない。全員に、自分の案をもうひとひねり加えて再提出させ、それを並べて投票するというところまできたが、(ちなみにこのプランを一欄で示すと、次の通り「21世紀立花組」、「<RITU>」、「情-jyo-」、「次世代情報発信工房 花火」、「kNowledgeum」、「Rimix」、「TachibanaKnowleCommunity」、「RYO」、「RYO」、「TKC」、「結」、「次世代情報発信工房 花火」、「創造バンク」、「seti21」、「R21」、「SOS」、「entangle」、「2ICS」…)
■乱歩通り
なんとなくもう一つという感じで、学校の近くの通り「旧要町通り」をブラついていると、通りに「乱歩通り」の旗がひらめき、その辺の商店のウインドーなどに、軒並み「乱歩通り」のステッカーが貼られていた。
ここは、昔は「乱歩通り」ではなかったはずだが、と思いつつ歩いていくと、一軒の瀬戸物屋さんのウインドーに、焼き物の置物、ペンダント、時計など、猫にちなんださまざまの造形美術作品が置かれているのに目がとまった。店に入って御主人に話しかけたら、はからずもそのご主人・青木一朗さんが、「乱歩通り」商店街振興組合の理事長さんだということが分かった。
聞けば、「乱歩通り」と改名したのは、つい最近のことだという。この近くに旧江戸川乱歩邸がある。そこが最近立教大学に買い取られて、一般公開(今のところ、週1回金曜日のみ)されるようになってから、新聞雑誌にも紹介され、訪ねてくる人も多くなったので、町おこしの意味合いもあって、このあたりの商店街全体を「乱歩通り」と改名してしまったのだという。
そしてショーウインドーの猫グッズは、「乱歩通り」のすぐ側に住んでいる、こしのゆみこさんという美術作家が作ったものとのこと。
■池袋モンパルナス
この辺り一帯は、かつて大正時代から昭和初期にかけて、若い有名無名の美術作家たちが群れをなして住み、「池袋モンパルナス」と呼ばれていた地域の外れという位置関係にある。最近、「池袋モンパルナス」の再評価の動きが出て、あちこちで展覧会が開かれたり、出版物が出たりしているが、そういう流れの一環として、地元池袋でもそれにちなんだことを何かやりたいという動きが生まれた。
そこで、豊島区肝いりの企画として始まったのが、街のショーウインドーの一画を借りて、若い美術作家の作品を展示する「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」という企画だった。こしのさんの作品展示はその一環として、そこに飾られていたのだという。
私は、こしのさんの作品が気に入ったので、その店で、こしのさんの作品を写真撮影した絵葉書セットと、ネコの焼き物で作った壁かけ時計を購入した。
その帰り道で突然ひらめいたのが、なかなか決まらなかったこのページのタイトルを、「乱歩通り裏 6号館 ネコ屋敷」として、こしのさんの作品をそのイメージキャラクターとしてそのまま利用させてもらうことだった。
「乱歩通り裏 6号館」と言うのはまさしく、私の研究室所在地そのものだ。立教大学6号館というのは、旧江戸川乱歩邸と敷地を接するところにあり、そこはまさに乱歩通りの裏なのだ。そのタイトルの頭に「立教・立花組」と付けたのは、学生のアイディア。「21世紀立花組」というのが、最後まで残っていたぺージタイトルの候補だった。「乱歩通り裏 6号館 ネコ屋敷」まで加えた最後の投票でこれが1位に。2位が「ネコ屋敷」になったので、「21世紀立花組」を「立教・立花組」にして両者を融合させたのが、現在のページ名になった。
■聖パウロ
こしのさんのネコは、こしのさんのページを見てもらうとすぐ分かるが、大変バラエティーに富んでいる。
数ある作品の中で、特に私がこのネコをイメージキャラクターに、とほれ込んだのは、このページのトップに置いてある「目隠しネコ」。この作品は美術作品としても大変に優れたものだと思うが、それ以上に「立教・立花組」のシンボルマークとしてぴったりだと思った。
立教大学は、昔から英語名をセントポール大学と名乗っている。セントポール大学とは、聖パウロにちなんでつけられた名前である。立教大学の上部組織である立教学院は、もともとは米聖公会によって明治時代に、外人居留地であった築地の一角に作られた日本で最も古い学園の一つ。
築地の外国人居留地であったところには、まるでそのシンボルマークでもあるかのごとく、高層ビルになった聖路加病院が建っているが、聖路加病院と立教学院は、どちらも米聖公会が作った公共施設であって、二つは兄弟関係にあった。そして、聖路加とは聖ルカであり、立教のセントポール(聖パウロ)同様、キリスト教の聖人にちなんで名づけられたもの。
■目からウロコ
聖パウロとはどういう人であったかというと、若いときはキリスト教徒の迫害に熱心なユダヤ教徒でサウロと名乗り、各地でキリスト教を見つけ次第、投獄したり殺そうとしたりと悪名高かった人。
ところが、ある日突然、ダマスコの地に向かう路上で、天から強い光が当たるとともに、「サウロよ、サウロよ、なぜ私を迫害するのか」と呼び掛ける声を聞いた。それとともにサウロは打たれたように地に倒れた。その声に、「主よ、あなたはどなたですか」と問うと、「私はあなたが迫害しているイエスである」という声が聞こえ、そのとたんサウロは何も見えなくなった。三日間、サウロは盲目のまま、何も食べず、何も飲まず過ごした。
三日目に、イエスの弟子の一人であったアナニアという人が現れ、サウロの上に手を置いて、「主イエスは、あなたが元通り目が見えるようになることを願っている」と言った。すると、サウロの目をふさいでいたウロコのようなものが、目からポロポロはがれ落ちた。それとともにサウロは再び目が見えるようになった。
これが「目からウロコ」という表現の本当の語源だが、日本人の大半はその語源を知らずに使っている。これをきっかけにサウロは回心して、熱心なキリスト教徒になるとともにパウロと名前を変え、キリスト教を世界に広める偉大な伝道者となったという有名な物語が新約聖書の使徒行伝に書かれている。
我々はいま21世紀の入口に立って、この世紀がどちらの方向に向かおうとしているのがよく見えない状態にある。その自覚の上に立ち、さまざまのトライアル&エラーを繰り返すことによって、21世紀の真の方向性を手探りでつかみ取ろうとしているのが、21世紀社会デザイン研究科といえる。